歩き方ハウス通信への第一回目の投稿なので、旅のことを書きます。
例年であれば、講義のない今頃(9月)は中国をふらついているはずです。でも、コロナ渦中にある今年(2020年)の夏はそれもままなりません。ということで、今回は昨年(2019年)9月の新疆行のお話をしたいと思います。
米中対立、尖閣問題、香港問題やらで、最近は中国に関する楽しい話はとんと聞きません。今回のお話も、実はあまり楽しいものではないかも。
新疆(新疆ウイグル自治区)と言うと、ひと昔前なら「中華世界の中の異郷」ということで、バックパッカーも多かったのですが、今は「宗教弾圧の地」になってしまったかの感があります。
かの地にある「職業技能教育訓練センター」なる施設は、実は強制収容所なのではないのか。そのような疑惑が渦巻く中、昨年11月、国際調査報道ジャーナリスト連合が、「中国政府の宗教弾圧を明らかにする文書」であるとして、ある中国語文書を公表しました。
私も読んでみましたが、公表文書はおそらく本物で、その中で紹介されている職業技能教育訓練センターは明らかに収容所の性格が色濃いものでした。
ちょっと雰囲気を味わって来ようか。ということで、私は昨年9月の3日間、約30年ぶりに新疆に足を踏み入れました。一人旅なので、何かあったらアウト。私なりに準備をしての渡航です。
入国検査で「拘束」
新疆に入る前に、隣国カザフスタンを訪れました。二度目の訪問です。
羊肉が好きな私にとっては、たまらなく有り難い国です。恐る恐る食べた馬肉ステーキも、イケました。所期の目的を達したのち、旧首都アルマティでチャーターした車を飛ばすこと3時間半。新疆には、習近平外交の柱「一帯一路」戦略の西の玄関ホルゴスを通って入りました。
「お前はヤクザか、それともニンジャか?」、「キタノタケシ、グッド!」。カザフスタン側の出国検査は非常に友好的でしたが、国境地帯をバスで移動して到着した中国側の入国審査は一変して厳しいものでした。
若い女性係官による入国検査が始まりました。「新疆に来た目的は?」、「観光です」。「こらからの行先は?」、「ウルムチです」。「ウルムチに知人はいますか?」、「いません」。「日本での仕事は?」、「教員です」と、こここまでは多少厳しいものの、よくあるやり取りでした。ところが、「どうしてカザフスタンから直接帰国せず、わざわざここに来たのですか?」の質問には多少いら立ちました。
「余計なお世話だ!」と悪態をつきたいところでしたが、「新疆には長いこと来てないんでね」と言って、その場をやり過ごしました。
ところが、本格的な入国審査は実はこの後から始まったのです。二人の男性係官が近づき、「向こうの部屋へ行こう」と言うのです。「検査ですか?」と聞くと、うなづきました。個室での取り調べは想定内だったので、「やっぱりきたか」と極力冷静さを装い着いていきました。
三部屋からなる個室に入るなり、私はギョッとしました。
あれがあるのです。指名手配犯の写真の背景にある、身長を示すアラビア数字。あれが壁に刻んであるのです。
「俺はもう犯罪者か?」。
その直後、係官の一人が「中華人民共和国の法律に基づいて検査を行う」と宣言し、検査が始まりました。二人の対応は概ね紳士的でしたが、「壁に両手をついて!」(壁ドン!ですね)の命令でボディチェックが始まると、さすがにこちらも緊張し始めました。
二人の役割分担は明確で、一人はスーツケース内の荷物検査、もう一人はデータチェック(パソコン、デジカメ、スマホ)でした。こういう事態は想定していたので、疑念を持たれそうな資料や情報は入国前に廃棄しておきました。また、出国ではなく入国なので、中国国内で入手した資料や写真なども一切ありません。
ですから、比較的冷静に対応できたのですが、Google Earthでプリントアウトしたホルゴス国境地帯の航空写真が出てきたときは、「やられた!」と冷や汗が噴き出ました。うかつにも廃棄するのを忘れていたのです。
でも、「Googleだな?」、「そう」のやり取りであっけなく終わったのは、ラッキーと言うよりは、今だから言えますが、拍子抜けでした。取り調べは結局15分程度で済んだのですが、カザフの日本語ガイドさんから頂いたブドウは没収されました。これは仕方ない。
ホルゴスという街
ウルムチ行きの列車が出るまでまだ2時間あったので、巨大な出入国管理ビルを出たところでたむろしていたタクシーをチャーターして、ホルゴス市内を駆け足で回りました。
運転手さんはウイグル族の男性でした。アラフォーくらいでしょうか、中国語は上手でした。
街で、いくつか気づいたことがあります。まず、小奇麗なこと。新しい街だからでしょう。
次に、少数民族自治区であるのにウイグル文字が全く目に入らず、すべて漢字の世界だったこと。漢族移住者の街なのでしょう。
最後に、街全体の警備体制の厳しさです。ホルゴス駅、これも意味もなく巨大な建物なのですが、敷地内に入るためには、国籍の如何を問わず、厳しいセキュリティーチェックを受けなければなりませんでした。予約済みの夜行列車切符を買いに行った時と列車に乗り込む時の二回。しかも、外国人だということで、警察官に何回も写真を撮られました。そして、市内には「防暴警察」(テロ対応警官)のジャケットを着た数人一組の警察官グループが至るところで警ら活動をしていました。
ただでさえ時間がないのに、運悪く安全検査を受ける車の列に巻き込まれました。10分程度待たされたのですが、私の乗ったタクシーは素通りでした。
運転手さんによると、「奴(係官)とは知り合いなんでね」だそうです。古き良き中国が残っていて、ホッとしました。ただ、運転手さんにご馳走することになっていたお昼をとっている時間はなくなってしまいました。情報収集を兼ねていたのに。逆に、彼からは、「晩飯にしなよ」ということで、野球のグラブ大のナンを三枚(も)頂いてしまいました。有難う。でも、これをどうやって食べきれ、と。
30年ぶりのウルムチ
これまた約30年ぶりに乗った寝台列車で、翌朝ウルムチ駅に到着しました。ロビーにさすまたが置かれたホテルにチェックイン。旅装を解き、直ちに街に出ました。
わずか一日足らずの滞在なので、休んでいる暇はありません。ウルムチ市内を回って、気づいたことが3つあります。
まず、イスラム教に関することです。
「俺は一度も行ったことはないけど、この先にハン・テングリ(汗騰格里)という大きなモスクがあるよ」。
私は、漢族男性が運転するタクシーを降り、その言葉に従い、買ったばかりの最新版ウルムチ市内地図とスマホ上の「百度」マップ(中国版Google-Map。中国ではGoogleが使えません)を頼りに、モスクなるものを探し始めました。
ところが、ハン・テングリなるモスクはそもそも地図に載っておらず、いくら検索してもヒットしないし、眼前に現れてこないのです。路地裏で、ウイグル族と思しき青年に尋ねても、「知らない」の一点張り。警戒していたのでしょうか。一目見たかったのですが、夕方には空港に移動し、上海行のフライトに乗らなければならないので、泣く泣くその場を離れました。
ところが、です。日本に戻り、グーグルで改めて検索して驚きました。市内地図にも中国アプリにも載っていなかったハン・テングリがグーグル上に現れたのです。
観光名所でもあるはずのモスクは、中国の地図ではどうやら抹殺されているようです。
次に、ウイグル語に関することです。
今回は無事、百度マップに出てきた二階建ての書店に入りました。目的は、ウイグル語書籍を探すことです。私はウイグル語は解しませんが、ウイグル語書籍がどのような扱いを受けているのか確認したかったのです。店内のどの辺に置かれていて、どのくらいの種類と数があるのか、です。
ところが、これもモスク同様、なかなか見つかりません。
店内を20分くらい探し回った頃でしょうか、やっとその理由が分かりました。ウイグル語書籍は、だだっ広い売り場の片隅にある一本の書架の一段に数冊置かれただけだったのです。
「たったこれだけか……」。
一方で、店内では少数民族の子供たちが元気に走り回っていました。
子供たちはみな楽しそうに民族語でおしゃべりしているのですが、手にしているのは全て中国語書籍です。「中国語ができるほうが就職に有利」、「中華民族の一員として中国語を理解するのは当然」ということで、当局は「双語(漢語と民族語)教育」の普及を推進しています。
でも、このままではウイグル文字はやがて消滅する運命にあるのではないか。そのような危惧を持ちました。新疆ではないのですが、現在、小中学校での中国語教育を強化しようとする当局の方針に対して、「モンゴル語の抹殺だ」として、モンゴル族が強く反発する動きが内モンゴル自治区で表面化しています。
第三に、共産党に関することです。
ウルムチ有数の観光スポットに「国際バザール」があります。
民族色豊かな一角で、食堂や土産屋がひしめいています。しかし、ここに入るためにはセキュリティーチェックを受けなければなりません。2009年に起こった漢族とウイグル族間の大規模衝突事件の現場近くにあるからでしょうか。それから、バザール内は確かに異国情緒が豊かなのですが、やはりここでも対テロ警察チームの巡視姿が目立っていました。
羊肉チャーハンに舌鼓を打ったので、そろそろ帰ろうかと思っていたところに、何やら歌声が聞こえて来ます。そこで、声のするほうに行くと、特設ステージの上で、男女数人が詩を朗読していました。全員漢族の様子で、言葉は中国語です。だからというわけではないのでしょうが、聴衆はほとんどいません。
一体何を読み上げているのだろうと耳を傾けると、すぐに合点がいきました。
指導者習近平を称賛する内容なのです。それが仕事なのでしょうが、自治区最大都市の中心部で、漢族が、中国語で、習近平を称賛する。ピント外れ、悪趣味もいいところです。一挙に興ざめしました。
「よくまあご無事で!」
ウルムチを去る時、私はカザフスタンで会ったある中国研究者の言葉を思い起こしていました。この研究者は新疆生まれのカザフ族で、今はカザフ国籍を取得しています。
驚いたことに、中国研究者であるにもかかわらず、「不愉快な経験をしたので、中国には二度といかない」と心に決めているそうです。私はこの研究者に尋ねました。「どうしてカザフの国籍を取得したのですか?」。その答えは毅然としたものでした。「自分の民族の国なのだから当然です」。カザフ族と異なり、ウイグル族の国はありません。
後日談があります。帰国後、単独新疆に行ってきたことを研究仲間らに話すと、彼らの口から出てきた言葉は、次の二つのいずれか、或いは双方でした。「なんと無謀な!」、「よくまあご無事で!」。私たち外国人研究者の新疆イメージがこのようなものであることを、中国の指導部は理解しているのでしょうか。