ジャカランタホテル
泊まっているジャカランタホテルに帰ろうと思って人に道を聞いた。すると「あっちだ。」と言う。
次の人に聞くと「こっちだ。」と言う。
その次の人に聞くと「ヘイ!」と合図して小走りに車に飛び乗るので、連れていってくれるのかと思いボクも荷台に飛び乗った。すると彼は慌てて車から飛び出してきて「NoNoNo」と言ってボクを荷台から下ろした。
そこで分かったのだが、ケニアの人は誰も「知らない。」と言う言葉を言わないのだ。
知らなくても必ず何か答えてくれてしまう。だからボクはますます道に迷って行くのだ。
大通りに出るとバス停があった。ボクは乗る前に「ジャカランタホテルに行くか?」(英語で)と聞くと「OK.」と言う。
ボクはほっとしてバスに乗り込んだが、少し不安になりバスの中でもう一度「ジャガランタホテルに行くか?」(英語で)と聞いてみた。すると彼はびっくりして「ジャガランタレストランには行くが、ジャガランタホテルはまったく違う場所だ」(英語で)と言う。
仕方なくボクはバスを降り、今度はタクシーに乗ることにした。
タクシーはすぐに見つかった。しかしタクシーといっても普通の車の窓ガラスのはじっこにペンキで「TAXI」と書いてあるだけ。
これじゃ誰でも「今日はタクシーでもやるか。」と思えばやれてしまう。たとえ悪者でも。
料金は乗るときに交渉する。
さて、タクシーは一路ジャガランタホテルに走り出したが、知らない国の知らない町、知らない道を走っている。
このままボクはどこに連れて行かれるのだろうか。果たして生きて帰れるのだろうか。運転しているたくましい男は本当にいい人なのか。そう思うと生きた心地がしない。
やっとホテルに到着してボクはまるで長い旅を終えたような気分だった。
さて、料金を払う時に運転手に大きいお札を渡すと当然彼はお釣りを返してくれる。その時気をつけないといけないのが、彼はお釣りを細かいお金から渡してくれるのだ。
つまり料金が136シルだとして1,000シルを渡すと、まず1シルの位から順番に数えながら64シルをくれる。
そして途中で渡すのをやめてみるのだ。こちらがそこで催促するとやっと大きいお金800シル分を100シル札で1枚ずつ渡してくれる。これも何度か途中でやめてみる。
おそらく急いでいたり慌てていたりするとうっかりもらい忘れる奴がいるのだろう。
とにかく油断は禁物だ。
スワヒリ語のシマウマ
サファリをドライブしている時だった。
遠くに2〜3頭のシマウマが見えたので、ボクは思わず「あっシマウマ!!」と叫んだ。
すると車は突然急ブレーキをかけ止まってしまったのだ。運転手がきょとんとしてボクの顔を見つめている。ボクも何がなんだかわからない。
その時、突然後ろの席に座っていた川田氏が笑い出した。
「そうか、スワヒリ語でシママは“やめろ”という意味だ。だから今シマウマって叫んだから、運転手は止まれって言われたと思ったわけだ。」
それ以来ボクはシマウマを見かけたら
「あ、ゼブラ!」ということにした。
スワヒリ語のくまもと
ホテルで朝食をとっていた時のことだ。
ボーイが近づいてきて「アー ユー ジャパニーズ?」と聞くので、「イエース」と答えると、
ニヤニヤと嬉しそうな顔をして「ユアネーム イズ クマモト?」と聞いてくる。
あとで分かったことなのだが、スワヒリ語でクマは女性のあそこのこと。モトは熱とか燃えるという意味だという。
つまりクマモトさんは、熱く燃えた××××ってことらしい。
くれぐれも熊本という名前の女性はスワヒリ語圏で名前を聞かれた時は気をつけるように。
時差
炎天下のサバンナで車を止めて外に出る。日差しが眩しい。
地平線の見える景色の中でふと時計を見る。
「あ、今日本で紅白やってる時間だ。」
そう思ってちょっと不思議な気分。 (日本との時差は6時間)
ライオン
せっかくアフリカに来たのに、まだ野生のライオン(スワヒリ語で、シンバ)を見ていない。
我々はサファリカーのドライバーに「シンバ シンバ。」とせっついた。ドライバーはすれ違う車のドライバーに何度も情報を聞き、あちこち走り回ったあげく、ついに丘の上の木の根元にいるライオン一家を発見した。
「やった、ついに出会った。野生のライオンたちだ。」
もちろん我々はここぞとばかりにシャッターを切る。ひとしきライオン撮影大会が終わると、そろそろホテルに戻る時間だ。
丘の上のライオンたちにサヨナラして車は一路国立公園のゲートへ。
ドライバーが我々に聞いた。
「アーユー ハッピー?」
「イエース ハッピー!」と我々が上機嫌で答えた。
その時だ。
ガクンと車が傾いたかと思うと、そのまま止まってしまった。
どうやら轍に車輪がはまってしまい、いくらアクセルを踏んでもタイヤは空回りするばかり。
ドライバーが車から降りて車の下に入ったり、真剣に何かしている。
この国ではドライバーはエリートになるらしい。それなりにきちんとした服を着ている。その服を泥だらけにしてまでも車の下にもぐっているのだ。
「こりゃあ、大変なことかも。」
さすがにそれまで記録用に撮っていた8ミリカメラも撮る雰囲気ではない。ついに我々も車を降りて彼のかけるエンジンに合わせて車を押す。しかしとても動きそうにない。
そういえば我々は明日の飛行機で日本に帰るのだ。今ホテルに向かわないと、日本に帰ることも出来なくなってしまう。
そうは言っても、車のタイヤは空回りしてさらに穴を掘るばかり。
途方に暮れながらも車を押すしかない。何度も繰り返していたら、車から降りてきたドライバーが我々に言った。
「すぐ車に乗れ。」と。
そして「シンバ イズ プロブラム。」と真剣な顔で呟く。
そう言えばさっき見たライオンのいる丘はここから見えるくらいまだすぐそばだ。そして日が暮れはじめてきている。
「そうか、つまりライオンのディナータイムだ。」
夕暮れ時は狩りの時間。今はそれくらい危険な状況なんだ。
しかしだからと言って車の中でじっとしてはいられない。気がつくと丘の上の木のところには他の車がライオンを見にやってきているのが見える。
そうか、ライオンがいるのを聞きつけて、他のサファリカーも来るわけだ。
ボクとI氏は車の屋根に登り「ヘルプー ヘルプー!!」と叫びながら毛布を思いっきり振り回した。
しかし皆ライオンの方ばかり向いているらしく、一向にこちらに気付いてくれない。
それでも僕らはヘルプー、ヘルプーと叫び続けた。と、その時だ。
一台の車が砂煙を上げて丘の上からこちらに向かってくるのが見えた。
「やった! 助かった!!」
見るとアメリカの子供たちがたくさん乗った車だ。どうやら子供の1人がボクたちの「ヘルプー。」に気付いてくれたらしい。
さっそくドライバーが状況を説明し、車と車をロープでつなぐとヴウンと引き上げる。
「サンキューサンキューサンキュー。」
何度もお礼を言ってやっと我々はホテルに向かった。
今となっては面白く語れるエピソードだが、その時実感したのは、
「やっぱり現地の人もライオンは怖いんだ。」ということだった。
あとがき
そして我々4人は翌日無事日本に向かう飛行機に乗ることができた。
今ボクはわずか2週間の充実した旅をエッセイにしてここに書いたが、実はこの旅行は、今から約40年も前の30代前半のことなのである。
メモも何も残っていなくて記憶力だけでこのエッセイを書いたので、ボクの認知症の心配は今のところ大丈夫だろう。
しかしこのエッセイの中に書かれていても、現在はなかったり、安全でなくなっていたりする場所もあるので、出かけてゆく場合は十分に気をつけていただきたい。