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マーシャル諸島共和国はどんな国
私は中国重慶での勤務を終えた後、2015年8月から3年余り、太平洋島嶼国の一つであるマーシャル諸島共和国(以下「マーシャル」と呼ぶ。)に勤務した。
中国勤務が通算20年と比較的長かった私にとっては、マーシャルはある意味で未知に近い国であった。
おそらく大方の人にとってもマーシャルという国はあまり馴染みのない国ではないかと思うので、この機会にマーシャルはどんな国なのかについて少々紹介させていただくことにしたい。
「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」と呼ばれる美しい国・マーシャル
そもそもマーシャルという国はどこにあるのだろうか。
それはちょうど北太平洋の中心、グアムとハワイとの間に位置し、かの有名な冒険小説「宝島」の作者スティーブンソンをして「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」と言わしめた大変美しい島嶼国で、29の環礁と5つの島から成っている。
人口は約6万人、面積は180平方キロメートルで、東京都八王子市とほぼ同じ大きさである。
環礁というのは中央部に島がなくリング状に形成された珊瑚礁のことで、アメリカの核実験で知られるビキニ環礁や世界最大の環礁であるクワジェリン環礁もマーシャルにある。
飛行機の上からマーシャルを眺めると、スティーブンソンがマーシャルを「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」と言い表したことを、なるほどその通りだと実感することができる。
因みに、環礁の生い立ちについてお話しすると、先ず熱帯の火山島の周囲に珊瑚礁が形成され、その後、火山島が沈降することにより珊瑚礁のみが上方に成長し、中央の火山島が完全に海面下に没すると、環状の珊瑚礁のみが海面に残り、環礁が形成されるというものである。
環礁は山や川もなく平坦な地形をしており、首都マジュロ環礁ではその幅は広いところで1,200メートル程度、狭いところではわずか数メートルほどしかなく、場所によっては右を見ても海、左を見ても海というちょっと不思議な光景が広がる。
日本からマジュロに行くには、直行便はなく一旦グアムかホノルルで飛行機を乗り換えて向かうことになる。
グアム経由の場合であると、グアム・マジュロ間は、途中四つの島を離着陸を繰り返しながら移動していく通称「アイランドホッパー」と呼ばれるフライトを利用することになる。
1~2時間ごとに離着陸を繰り返していくので結構時間がかかり、グアムからマジュロに到着するまでに9時間を要する。
マジュロに赴任した際、私を乗せた飛行機が着陸に近づくと、幅の狭い陸地は視界から完全に消え去り、目に映るのは右も左も海だけとなり、このまま海に突っ込んでしまうのではないかと錯覚したことを今でもよく覚えている。
マジュロの海 マジュロ・ビケンドリック島
また、マーシャルは世界のダイバー達に知られるダイビングやスノーケリングの好スポットで、日本や欧米からも多くのダイバーが訪れ、リピーターの数も多いと聞く。
私はマジュロで初めてスノーケリングを体験したが、海中の美しい珊瑚礁、色とりどりの熱帯魚、そして紺碧の海に心を奪われる思いであった。
日本と縁の深い親日的な国・マーシャル
マーシャルの歴史を辿ると、16世紀初頭にスペインが発見し、領土権を主張したものの実質的な統治はせず、19世紀末にドイツの保護領となった。
その後、日本が1914年から約30年間統治し(1920年からは国際連盟の委任統治)、戦後は約40年間、アメリカの国際連合信託統治下に置かれていたが、1986年に独立した。
なお、マーシャルの国名は1788年、イギリス人の船長ジョン・マーシャルがこの地を訪れたのがその由縁となっている。
日本は1988年にマーシャルと外交関係を樹立したが、その歴史的繋がりは100年以上も前に遡る。
マーシャルには日本に親しみや好感を持つ人が多く、子供に「セツコ」「アキコ」「ユキコ」「タダシ」「ヒロシ」「キヨシ」といった日本人の名前をつけている人もいる。
日本がマーシャルを統治していた間は、日本語による教育を行っていたので、高齢者の中には日本語が堪能な人もおり、「ヤキュウ」「ゾウリ」「デンキ」「サンポ」「アミモノ」「アメダマ」など現地語化した日本語が現在でも多数使われている。
例えば、「アメダマ」はその語源が日本語に由来することを知らず、マーシャル語と思い込んでいるマーシャル人もいて、日本語が自然な形でマーシャル社会に溶け込んでいることが分かる。
また、「アミモノ」はマーシャルの伝統手工芸品のことで、ヤシやパンダナス(タコノキ)の葉を乾燥させてなめしたものを素材に手で編んで、バッグ、壁掛け、マット、飾り花、飾りうちわ、アクセサリー、小物入れなどを作る。
食生活では日本人移住者によってもたらされた米食が定着し、今では白いご飯はマーシャル人にとってなくてはならない食べ物となっている。
そのほか、マグロのサシミも日常食となっており(サシミもマーシャル語化している。)、マーシャルではどこのレストランに行っても醤油とワサビは常に食卓の上に置かれている。
マーシャルにはその歴史的経緯により、父方が日本人、或いは母方が日本人といった日系マーシャル人も多く住んでおり、人口の10-15%程度が日系人ではないかと言われている。
中には、「カネコ」「ミズタニ」「カミナガ」「イシグロ」「マタヨシ」「ヤマムラ」「ヤマグチ」「キシノ」などの日本人姓を名乗る人や、「モモタロウ」「チュウタロウ」などもともと名前であったものを苗字としている人もいる。
マーシャルではそうした日系人が政界を始め各界で活躍しており、デイビッド・カブア現大統領も日系人の一人である。
日本はマーシャルの国造りを支援するため1980年代から開発協力を開始して今日に至るが、日本の協力が長期間に亘って実施され、マーシャルの国造りに貢献してきたことは一般市民にも広く認知されており、様々な機会に日本の協力に対する感謝の言葉が聞かれる。
例えば、地域住民のニーズに素早く、木目細やかに応える草の根プロジェクトはすでに20年以上に亘って毎年実施されてきており、案件数はすでに150件を超えている。
このプロジェクトはマジュロやクワジェリンといった比較的大きな環礁のみならず、20以上の小さな離島でも実施されており、まさに「草の根」と呼ぶのにふさわしいプロジェクトである。
最近では、小学校校舎、学生寮建設・改修、スクールバス供与、貯水槽建設、保健支援センター建設などが実施されており、地域住民への裨益効果は大きい。
私は草の根プロジェクトの引き渡し式に出席するため幾つかの離島を訪問したことがあるが、その都度現地住民の感謝の言葉を耳にし、心から喜ぶ姿を目にし、日本の協力が歓迎され、マーシャルの人たちの役に立っているのだなと実感したものである。
また、JICA(国際協力機構)ボランティア事業(青年海外協力隊員及びシニアボランティア)が1990年代から実施されており、その分野は小学校教師、日本語教師、看護師、栄養士、理学療法士、コンピューター技術、廃棄物処理、水産経営管理、木工など、非常に多岐に亘っている。
マーシャルではJICAボランティアは日本の「顔の見える」協力として人々の身近な存在となっており、その認知度は非常に高く、知らない者は誰もいないと言っても過言ではない。
また、特に近年、国の将来を担う青少年の交流も盛んになってきている。
例えば、小学生、中学生を対象とした「ミクロネシア諸島自然体験交流」、高校生を対象とした「高校生津波サミット」、高校生、大学生等を対象とした「さくらサイエンスプラン」、高校生から大学生、社会人までを対象とした「JENESYS(21世紀東アジア青少年大交流計画)」(JENESYS同窓会がマジュロで設立されている。)、大学生を対象としたAPIC(国際協力推進協会)主催の上智大学への授業参加プログラム、大学間協定に基づくマーシャル短期大学学生の琉球大学留学など実に様々であり、交流の幅と深さが年を逐って増してきている。
そのほか、マジュロでは十数年前から毎年日本語スピーチコンテストが開催されており、日本語を学ぶマーシャルの学生たちにとって大きな目標、励みとなっている。
マーシャルの若い世代がこのような様々な交流やイベントなどを通じ、日本への関心を高め、理解を深めることは日本とマーシャルとの関係を未来に向けて発展させる上でも大変意義のあることであり、これからもこうした交流やイベントが一層拡大、活発化していくことが望まれる。
地場産業の育成に苦慮する国・マーシャル
マーシャルは国土が広大な海域に散らばり、国内市場が小さく、国際市場から遠いなど、経済活動を行う上で大きな地理的なハンディキャップを抱えており、地場産業の育成に苦慮している。
主要産業としては、第一に漁業が挙げられるが、その実態は外国漁船からの入漁料収入が主であり、地場産業としての漁業は十分には育っていない。
次に、農業であるが、環礁であるので陸地面積が狭くかつ土壌が珊瑚質となっていることから、作物栽培には適しておらず、換金作物はほぼコプラ(乾燥ココヤシ)のみで、コプラを原料としたココナツ石鹸やココナツオイルなどが生産されている。
そのほか、観光業が潜在的に有望な産業として期待されてはいるが、インフラの未発達やアクセスの不便さなど、観光開発には様々な課題を抱えているというのが実情である。
一方、産業ではないが、特筆すべきは、マーシャル船籍への船舶登録数が増加の一途を辿っており(いわゆる便宜置籍船)、今やリベリアを抜いてパナマに次いで世界第2位となったことである。
政府歳入という点から言えば、船舶登録による収入は近年大きな伸びを見せ、外国漁船からの入漁料収入と共に政府歳入増への寄与が期待されている。
アメリカの財政支援に大きく依存する国・マーシャル
マーシャルはアメリカと非常に密接な関係を有している。
先に述べたとおり、マーシャルは戦後約40年間、アメリカの国連信託統治下に置かれていたが、1986年にアメリカとの間で自由連合協定(通称「コンパクト」)を締結して独立した。
マーシャルは独立したものの、自立への道はなかなか険しく、コンパクトによって、マーシャルの国防及び安全保障はアメリカが権限と責任を持つ一方、アメリカはマーシャルに対して大規模な財政支援を行うこととなった。
独立後34年を迎える現在においても、マーシャルの政府歳入はアメリカの財政支援に大きく依存しており、政府歳入の約5割がアメリカの財政支援によるものとなっている。
この財政支援のうちの相当部分が2023年をもって終了する予定で、その後将来に亘って財政をいかに健全に運営していくかが大きく問われている。
現在、マーシャル政府では、対応策として、コンパクト信託基金(2023年以降の歳入源とするために2003年に設立されたファンドで、元本はそのままにして運用益のみ政府歳入に計上する仕組み)の強化を図ることを大きな柱に幾つかの施策を掲げているが、この問題への取り組みが順調に進んでいくことを期待したい。
なお、隣国ミクロネシア、パラオもアメリカの国連信託統治から独立する際にアメリカとの間で同趣旨の「コンパクト」を締結している。
これによってアメリカはミクロネシア3か国に軍事施設を設置する権利を保持したが、実際に軍事施設を設置しているのはマーシャルのみである。
マーシャルでは、クワジェリン環礁に米軍基地が設置されており、この基地はカリフォルニア等の米軍基地から発射される弾道ミサイルの迎撃実験場となっているほか、人工衛星等の監視やNASAと協力した宇宙開発支援などを行っている。
(了)